MEMORIA メモリア

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公式サイトはこちら→http://www.finefilms.co.jp/memoria/

音の記憶、それについての映画だと思っていた。当初は衝撃音それ自体を探す旅の話かと。しかし、そうではなかった。タイトル通り記憶そのものについての考察だった。それも明確な事実に基づく多数の記憶ではなく、曖昧なパーソナルな記憶についてだった。

主人公はある日突然、衝撃音を聞く。それは彼女にだけ聞こえる音だった。彼女はそれを言葉で表現し、ある男性にPCで再現してもらう。その後再訪するとその男性は存在していないと告げられる。同じ様なことがいくつも起こる。事実と虚構が混沌となり、他人の記憶と自分のそれとの境界が曖昧に溶け込んでいく。

実は公開を待ちに待った映画だった。偶然、間違えて観た『世紀の光』以降、アピチャポンの映画は必ず映画館で観ている。今作も『世紀の光』と同様にエピソードが散乱し、いわゆる広義のストーリーから考えると破綻している。だからこそ、ここに、この映画の魅力がある。集団の記憶ではなく、個人の記憶についての映画だからだ。いや記憶というよりも『思い出すこと』そのものの映画なのだから。

衝撃音はもちろん、他の音も秀逸に再現されている。特にクレジットタイトルとともに流れる音に心が動かされた。また後半は衝撃音が鳴っているかのように聞こえたりもした。この衝撃音は自分の頭の中で鳴っているだけで、映画の中ではたぶん存在していない。ここにおいても見るものの記憶とその聴覚を侵食していく。

撮影は以前のように母国タイではないのだが、以前の作品のように植物の緑が強調されている。窓から見える緑の光、植物にあふれた場所でのシーン構成等、一連の作品と同様に登場する。特に窓から外を除くシーンが多く圧倒的に美しい。ひとつ残念なことは、ロケ地の都合からか、ジエンジラ・ポンパスが出演していなかったことだ。

この映画の構成について疑問を持つ人も多いだろうが、パーソナルな記憶の多様性を共有していると思えば、納得するだろう。

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