ドライブ・マイ・カー

film

■主要キャスト 家福悠介役 西島秀俊・渡利みさき役 三浦透子・高槻耕史役 岡田将生・家福音役 霧島れいか

脚本が素晴らしい。村上春樹の原作を崩さずに、短編を大きく、豊かに表現している。原作を超越した作品、「別なもの」と捉えるべき映画。村上春樹が好きな人は、作品以外に付け加えられた部分の大きさに驚くとともに、違和感を持たないはずだ。 最初からそうだった、と思うかのように…

原作の拡張

原作では主人公は俳優だが、映画では演出家兼俳優となっている。演出家としてチェーホフの戯曲を演出する為、専属ドライバーをつけることになる。また後半はロードムービー的に展開される。岡田将生演じる高槻耕史は原作よりかなり若い設定だ。また、主人公の妻も原作では俳優だが、脚本家となっている。原作は大きく拡張されている。

戯曲

作中の戯曲「ワーニャ伯父さん」は、手話を含めた多言語で展開され、せりふは役者それぞれの母国語で話される。最初の本読みシーンにはかなり違和感を感じる。感情を入れずにそれぞれの台詞を読み続けるからだ。そして主人公である演出家はそれを強要する。役者たちは徹底的にテクストに向き合う。(『一つのテクストは互いに対立する解釈をもちうる。』や『テクストに外部は存在しない。』という言葉を思い出した。)この本読みの間、それ以外の部分で様々なことが起こっていく。戯曲の稽古とその外での事象を併置した、この脚本構成が素晴らしい。本読み終了後の稽古シーンについては、現実感がむき出しになったようにも見える。

ロードムービー

ある事件がきっかけで、後半はロードムービー的に展開される。だがこの映画はロードムービーではない。ロードムービーが始まる前に、登場人物たちの感情は整理され、それを外部に表現するために必要な映画的な時間と考えられる。物語上の物理的な移動距離は長いが、それはあくまで映画的に必要な時間と捉えられる。(個人的には、移動距離から考えられる疲労感が劇中では感じられず、違和感が残るのだが、実際にその距離を走ったことがなければ、それもないだろう。)

最後に

主要キャストはもちろんのこと、脇役の個性的な演技が光る、特にコーディネーター役の安部聡子とジン・デヨン。抑揚の少ない台詞回しがリアリティを感じさせながら、作品全体のトーンを整えている。また女優役のパク・ユリムと、ソニア・ユアンの二人も多言語での演技が良く、作品の多様性を拡げていた。これは「村上春樹原作」とか、「〇〇賞受賞作品」とかから離れて観るべき映画だ。『演技』を見る映画だ。

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