由宇子の天秤

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■主要キャスト 木下由宇子役 瀧内公美・木下政志役 光石研・小畑萌役 河合優実・小畑哲也役 梅田誠弘・長谷部仁役 松浦祐也・矢野志帆役 和田光沙・小林医師役 池田良・池田役 木村知貴・富山宏紀役 川瀬陽太・矢野登志子役 丘みつ子

152分の時間を感じさせない映画。画面の中で次に何が起こるかわからない、目を離せない映像。フィクションとドキュメンタリーの境界を無効にする力のある作品だ。この緊張はどこからくるのだろうか。物語、その展開、演技、それら全てが絡み合ってのことなのだが、それ以外に観客に緊張を迫るものがあった。

映像

映像は、ことごとく明るい場所を避けている。ドキュメンタリーの撮影現場、重要な登場人物である少女の自宅、そこはまさに暗い。学習塾の教室、主人公がミーテイングを行う会議室など、窓を含んだ開放的な画面を映すことがほとんどない。また屋外のシーンもほとんど曇天で、光源は登場人物やその背景の輪郭を鈍く映し出す。さらに余白の少ない詰まった構図が切迫感を出す。暗い。物語と並走するように画面の中は暗い。

照明

屋内でも照明はリアルティを求める為、登場人物の顔を決して明るく照らし出さない。さらに表情をはっきりと読み取れない場面も多い。だがこれが観客の緊張感を生む。画面にはっきりと表示されない為、逆にそれを見逃さないようにと思うからだ。萌の自宅で由宇子が勉強を教える場面や丘みつ子演じる矢野登志子の自宅では表情での説明を拒むかのように演者に体全体で表現させる。そこに居ることが、存在感を生む。演者が何かを表現する前に、そこに居るというリアリティが必要なのだ。

作品冒頭でリコーダーの演奏が聞こえる。だがそれ以降、音楽はない。演者の台詞と環境音だけがスピーカーから流れる。画面を盛り上げたり。寄り添うように流れる、それは無い。特に圧巻だったのがラストシーンからエンドロール終了までの音の演出だ。音楽以上に、ノイズの存在感が大きい。

キャスト

そのリアリティを体現するのが、瀧内公美。変化する状況の中で迷い、自らを貫く主人公を演じきっていく。光石研の演技も緊張感を醸成している。特に河合優実に至っては、まさにそこに居るかのような存在を物語の時系列の中で表現している。

最後に

この映画をVODで観ることは薦めない。試写室や映画館以外どんな視聴環境でも、この緊張感は味わえないだろう。

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